このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー

ホーム > 2006年トリノ五輪 > 紙面から


紙面から

皆川銅まで0・03秒4位/アルペン

<トリノ五輪:アルペンスキー>◇25日◇男子回転

 日本のアルペン男子が、半世紀ぶりの入賞を果たした。皆川賢太郎(28=アルビレックス新潟)が2回の合計1分44秒18をマークし、4位に入った。銅メダルとはわずか100分の3秒の差だった。湯浅直樹(22)も7位に入り、56年コルティナダンペッツォ五輪で銀メダルの猪谷千春以来の快挙を達成した。エースの佐々木明(24)は2回目にコースアウトして途中棄権、ベンヤミン・ライヒ(27=オーストリア)が1分43秒14で金メダルを獲得した。

 皆川はゴールに飛び込んでくるライヒを凝視していた。2回目の滑走(28番目)を終えた段階で3位。残る上位は2人。続くパランデルが合計1分43秒54をマークして、皆川の銅メダルは消えたと思われた瞬間、旗門不通過で失格になった。あとは1回目トップのライヒの滑走を待つのみ。日本代表の関係者、応援団、報道陣が騒然となった。その中で当の本人は思いのほか落ち着いていた。表彰台を願う一方で「彼に失敗はない」と冷静に実力を判断。その通りにライヒは圧倒的な速さで勝ち、皆川は4位に滑り落ちた。

 3位のシェーンフェルダーとは100分の3秒差。距離にして約38センチの差。右ブーツのバックルが外れていたのが悔やまれる。猪谷氏が50年前に銀メダルを獲得した同じイタリアの地で、メダルを獲得する夢は惜しくもかなわなかった。「たら、れば、だけど、ゴールしたらわずかの差。メダルは欲しかった」と本音を漏らした。

 それでも歴史的な成績は変わらない。7位の湯浅とともに、伝統の花形種目で日本勢が半世紀も果たせなかった快挙を達成した。児玉コーチは「世界のアルペン人口を考えれば、この4位を高く評価してあげて欲しい」と説明。ロッカらトップ選手が次々と転倒、コースアウトする厳しい条件の中、皆川は正確なスキー操作で1回目から3位。世界に名前と実力を示した。「悔しいけど、素晴らしい五輪になった」と精悍(せいかん)なマスクに笑みを浮かべた。 どん底を乗り越えて、世界4位にたどり着いた。4年前の2度目の五輪では突っ張っていた。W杯で成績を残してもエース扱いされず、言動も荒れた。五輪本番の回転は1回目に旗門不通過で失格。その1カ月後に左ひざ靱帯(じんたい)を断裂し、選手生命の危機に陥った。その窮地に支えてくれたのが元競輪選手だった父賢治さんら家族。そしてW杯の仲間だった。同期のミラーらがけがの間、何度も「早く帰ってこい」と電話をくれた。2季前に復帰すると、顔なじみの選手から次々に「お帰り」と声を掛けられ、リハビリ法を教えてくれた。解説者になったトンバ氏には「ミナガワ、まだやるのか」とからかわれたが、目は優しかった。苦労した間に人の温かさに触れ、人間的にも成長。佐々木にエースの座を奪われても、謙虚に努めた。練習でも周囲の話を素直に聞けるようになり、今回の成績につながった。

 いつもスキーの普及を意識している。「メダルを取れば、子供たちに注目されたかな」と苦笑い。4年後のバンクーバー五輪に、その夢をつなぐ。「32歳の年寄りになるけど、クオリティーは上がるはず」と言い切った。【佐藤智徳】

 猪谷氏は「銅メダルに100分の3秒差なら、あと30センチぐらいか。残念でしたね」と皆川の4位を惜しんだ。50年前に男子回転で銀メダルを獲得した時も、強豪が次々とコースアウトする同じ状況だったため「今日も行ける」と祈っていた。この日は国際オリンピック委員会(IOC)の副会長として、メダルのプレゼンターを務めた。昨年10月に「自分が日本人選手にメダルを手渡したい」と立候補。その夢はかなわなかったが「メダルの数だけでなく、入賞の多さもその国の強さを示す」と日本勢の層の厚さを喜び、2人の努力をねぎらった。

[2006/2/27/07:45 紙面から]



最新ニュース

記事バックナンバー



ここからサイドエリア

 

このページの先頭へ

ここからフッターエリア