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紙面から

ジャンプ「失敗」のシナリオ

 長野五輪でメダルを量産したお家芸のジャンプは、2大会連続でメダルなしに終わった。日本復活を阻んだのは、一貫しない強化策だった。惨敗した02年ソルトレークシティー五輪後、現場監督のヘッドコーチは八木氏(02〜03年)田尾氏(03〜05年)ユリアンティラ氏(05年〜)と交代した。そのたびに方針が変わった。

 八木氏ら日本人ヘッドコーチは企業チームに強化を委ね、トップ選手が集まるのがナショナルチームという態勢を取った。しかし低迷が続き、07年2月に札幌で世界選手権が控えていることもあって全日本スキー連盟(SAJ)の伊藤会長のトップダウンで急きょ、方針を転換。一昨年冬から外国人コーチ探しに入ったが、これが難航した。

 オーストリアやフィンランドなどジャンプ強国からリストアップしたが、なかなか折り合いがつかず、五輪で4個の金メダルを獲得したニッカネンを育てたフィンランドのユリアンティラ氏に落ち着いたのが7月。本格的なシーズンインまで4カ月しかなかった。低迷していた船木らは同氏の指導にかけてジャンプを一から修正したが、間に合わなかった。後手に回った強化が選手に及ぼした影響は大きかった。

[2006/2/22/09:57 紙面から]



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